真・新たな"エモ"を探る 第三回: I want to love you, けど

はじめに

"エモ (Emo) は、ロックの形態の一種である。英語での発音は「イーモウ」。
精神的・音楽的にハードコアにルーツを持つことから、エモーショナル・ハードコアと呼ばれることもある。" Wikipedia

この定義は極めて美しくない、いや、"エモ"くないものであると、どこか筆者は感じてやまない。どこか、納得がいっていない。どこか、得心がいかない。
その貞淑と騙る淀んだ刻印の前に、我々は幾度となく眼を凝らしては背け続けてきた。其処に、憂い無き無垢な楽園が在ると。其の、穢れ亡き大気に包まれて。

ここ数年で「エモ・政府」はその地位を確固たるものとし、人々から自由を奪った。歪んだ力のノイズは、我々に眩暈を与え、踏み締めるための脚を奪った。
だが、諦めてはいけない。既にエモに呑まれてしまった世界になってしまったが、未だ潜む"エモ"の芽を見出していけばよいのだ。


今宵で第三回を迎えるこのコラム。第二回は割かし反応が芳しくなかった。ショックこそ覚えるが、振り向いてはいけない。また一歩、踏み出す時―――――

過去のコラム: 第一回第二回

"エモ"、そのローカリティ

その地域性とやらは果たしてどこまで広がっているのか。前回は中級レベルを体験したわけだが、あれはたった一つの視点、氷山の一角に過ぎない。
今日はそんな幅広い中級レベルの"エモ"の中からまだ見ぬケースを一つ、取り上げてみたいと思う。分かりやすさで言えば今回の方が優れているはずだ。

この見分け方を会得したとき、貴方はもうYoutubeを漁っては"エモ"を血眼になって探さずにはいられなくなってしまうことだろう。筆者の矜持である。




"エモ"を知る: 中級編 ~バラが散りゆく街、バンコク~

今回取り上げるアーティストは、タイのバンコク発となるオルタナティヴメタルバンドである。数年前まではメタルコアの様相が濃かったそのバンド、その名も、





ローゼズ Roses Fall フォール


上記の名前、そしてアーティスト写真からしてもう"ヤバ"さ、失礼、"エモ"さが滲んでいるのがお分かりだろう。まずはそのファッションからチェックしたい。
揃いも揃って皆薄着。そんなクールビズが叫ばれる昨今を揶揄しているのであろう中、内二人がチェック柄のシャツをKIKONASHIている。中々の殺傷力だ。

だが、もう少し視線を下に落としてみたい。なんと全員、アーティスト写真だというのにサンダルを履いている。もうお気付きだろう、そこから見出せる地域性に。
なんと言ってもタイは暑い。クールなファッショナイズを行いたいのはメンバーも山々だが、やはり自然には適わない。そう、彼らは自然を受け入れたのだ。


マイナーすぎるのではないのかという声も上がりそうだが、その実Facebookページのいいね!が実に3万超、ファンの反応も芳しいときた割と人気バンド。
そんな彼らが紡ぎ出す音楽とは果たして如何なるものなのか。ここからが彼らの"エモ"を掘り下げていくジャーニーとなる。瞬きと心音を置いていくといい。









"エモ"を知る: 中級編 ~重奏哀(カサネ、カナデ、カナシ。)~

今回取り上げる凄まじき"EMO-vie"はこちら。これは彼らが作った数年前の楽曲で、ミドルテンポを軸に取るしっかりとしたメタルコアチューンとなっている。

まずはそのタイトル。彼らはタイ出身であるからか、楽曲タイトルや歌詞などは基本全てタイ語となっている。いまいち世界に波及しない理由が掴めそうだ。
ちなみにこの楽曲のタイトルは訳するところの「子羊」に相当する。さて、再生ボタンを押す前に、サムネから彼らの描き出す真実に迫ってみたいと思う。

"エモ"というものはやはり生きた世界の中で表出しやすいモノ。しかしどうだろう、このサムネイルという静止した世界線からでも伝わってくる熱き情報量は。
サムネイル左方で握り拳を作り、力んでいる彼こそがヴォーカルを担当するRottoR氏である。上のアーティスト写真を見た時点でピンときた方も多いことだろう。

そう、彼のアイデンティティ「サラサラ横分け+白縁眼鏡」なのだ。それは唯一存在としての証であり、我々の眼に刻まれるべきシグナル。
余談だが、上のアーティスト写真は今年に撮影されたモノ。それを踏まえると彼は実に4年間このスタイルを変えていないことが理解できるようになっている。

しかしこれはあくまで狙い澄ました彼なりのストラテジー"エモ"度はそこまでだといえる。だが、それはSTAGEによって昇華されることになる―



このビデオのロケ地に注目したい。そう、メタルコアと言えばススキ。このジャンルに身を置く者はみな荒涼とした場所で撮影したいと自然に思うもの。
どこか儚さを匂わすために用意されたこのロケ地に全く合わない白縁眼鏡をかけているあたりが評価したいポイントだ。雰囲気が予想以上に台無しである。

それではいよいよ再生を始めてみよう。手堅いメタルコアのイントロが始まり、実に40秒ほど経った辺りからRottoR氏のヴォーカルが入り始める。
タイ語だからなのか、なんとも歌い方がねちっこい感触を覚える。しかしその分何か染み付いてくるため、キャッチーだと言い換えることもできるのだろう。

そんな中、タイムにして1分29秒付近、一度目のサビが終わった後に最初の"エモ・ポイント"が表出する。そこに現れたのは、「芸術」だった。












ギター回し、否、回し。



あまりにも唐突に現れた絶技、誰が予想できただろう?彼はギターを回すという"段階"を超えたのだ。...と、筆者もこの時点ではそう思っていた。

だが、それはミスリードだった。一時の"エモ"に欺かれたのだ。その確信に至ったのは、2分21秒の時点。抱いた先入観、その愚かしさに気付くこととなる。














手前にいる別のギタリスト、やたらギター回しが巧い。

これこそ正に絶技。ギターが二回転しているだけではない、なんと彼は回しも颯爽とやってのけているのだ。とんだニューカマーである。
その衝撃は凄絶なのだが、ここで後ろ、ねてギター回しをしている人物に注目したい。
なんとさっきの回しのギタリストではないか。しかし、彼はぎこちないギター回しを行っている... すると一点、我々に疑念の閃光が走る。










後ろの彼、さしてギター回しが巧くないだけなのではないかと。

なるほどすべての辻褄が合った。我々が"エモ"だと認識した回しは、ただ単にギター回しが苦手だから行われた逃避行動だったのだ。
二人のギタリストによる人生演舞、そのでられた血脈にはこのような裏があったのだ。



この後、このビデオを通して両者とも一回ずつギター回しを行うシーンが収録されているが、もう貼る必要もないだろう。やはり彼の回しはぎこちないのだから。
ミュージックビデオは一つのドラマ。物しくも、人生の真理が映し出されていくのだ。






生きとし生けるものすべてに幸あれ。

おわりに

如何だっただろうか、今回は第三回、"エモ"の持つ「哀しき」地域性を中級編を通して見ていった。読者も涙なしには読めなかったことだろう。
次回は残念ながら、色々と未定である。中級レベルをまだ触れていくか、それとも、禁忌、上級レベルにいよいよ足を踏み込むか。断じてネタ切れではない。
もちろんではあるが、筆者もまだまだ修行の身、「この間、こんな"エモ"と出会った」などなど、是非とも情報がある時はお伝えして頂ければ幸いである。

決して忘れてはならない"エモ"を視ようとする姿勢、是非とも読者に形成していってほしい。このシリーズがそのキッカケとなるように。


それでは次回をお楽しみに。また、"エモ"る日まで。          ―06/08/2014 五条隆志