真・新たな"エモ"を探る 第一回: キミの歩幅、キモチの振幅

はじめに

"エモ (Emo) は、ロックの形態の一種である。英語での発音は「イーモウ」。
精神的・音楽的にハードコアにルーツを持つことから、エモーショナル・ハードコアと呼ばれることもある。" Wikipedia

この定義は極めて美しくない、いや、"エモ"くないものであると、どこか筆者は感じてやまない。どこか、納得がいっていない。どこか、得心がいかない。
その欺瞞に満ちた香りの前に、我々は幾度となく煮え湯を飲まされ続けてきた。其処に、安堵を見出してしまった。其処に、呼吸を置いてきてしまった。

ここ数年で"エモ・情報"「エモ・政府」によって操作され激しく錯綜していった。大きな力の前に、我々は全くに無力だった。
だが、諦めてはいけない。既にエモに呑まれてしまった世界になってしまったが、未だ潜む"エモ"の芽を見出していけばよいのだ。


前作の読み切りを経てのシリーズ化。惜しまぬサポートを申し出てくれた各方面の方々には頭が上がらないばかりである。また一歩、踏み出す時―――――

エモ"エモ"

その違いはどこにあるのだろうか。いきなり"エモ"を探し出せ、と言われてもあらゆる地にありながら息を潜めるそれを見つけ出すのは容易いことではない。
今回は初回ということもあって、読者の方々にその見分け方の第一歩を伝授していきたいと思う。まずは初級編を用意しているため、コツを掴んでほしい。

この見分け方を会得したとき、貴方はもうYoutubeを漁っては"エモ"を血眼になって探さずにはいられなくなってしまうことだろう。筆者の誉れである。




"エモ"を知る: 初級編

まずは、こちらのミュージックビデオをご覧いただきたい。



このバンドは筆者も大好きなアメリカのエモロックバンド、Dowsingの楽曲である。インディーロックならではの、どこか懐かしさを覚えるサウンドが魅力だ。
そう、こちらはエモなのだ。"エモ"ではない。そもそも"エモ"サウンドの中から発見することが非常に難しい概念、その手法を取るのは控える方が良い。
もっとも、サウンドから"エモ"を見つける"エモスパート"も存在するが、その話は割愛する。では、"エモ"とは何か。次はこちらを見て頂こう。











再生ボタンを押すと同時に広がった光景に、貴方は何を見ただろうか。彼らは言わずと知れたアメリカが誇るポストブラックメタルバンド、Deafheavenである。
先日来日もした彼らであるが、注目したいのはもちろんヴォーカルを担当する、George氏。感じるだろうか、彼のパーフェクト・アティテュードを。

なんとも姿勢の維持が難しそうだが、彼は完全に小慣れている。いや、全くに自然な行為なのだ。そう、自然こそが"エモ"にとって非常に重要なカギとなる。

彼も意識してこのアティテュードを構成しているわけではない。ただただありのままに自身を表現しようとした結果、このボディのが表出したにすぎないのだ。
垣間見れるのはまさしく人の可能性であり、目の当たりにした我々の身体から沸々とある「何か」が湧きあがってくる... それこそが"エモ"なのだ。



意図して作り上げられたエモではなく、ふとした時に見せる彼らの素の美にこそ、我々は"エモ"を見出すことができるのだ。
ちなみにではあるが、このライヴ動画で最もGeorge氏の"エモ"が高まったシーンがこちらである。ちょうど動画開始から9分ほど経った頃合いのワンシーンだ。







...もう、我々に言葉は要らない。

おわりに

如何だっただろうか、今回は初回、エモ"エモ"の違いを初級編を通して見ていった。次回は中級編を通して、更なる"エモ"と出会っていきたいと思う。
もちろんではあるが、筆者もまだまだ修行の身、「この間、こんな"エモ"と出会った」などなど、是非とも情報がある時はお伝えして頂ければ幸いである。

決して忘れてはならない"エモ"を視ようとする姿勢、是非とも読者に形成していってほしい。このシリーズがそのキッカケとなるように。


それでは次回をお楽しみに。また、"エモ"る日まで。          ―05/17/2014 五条隆志